カーニバル 歩いても歩いても途切れることの無いお祭り騒ぎに、ロイは自然と顔を綻ばせながらイースト・シティのメインストリートを見つめていた。街のカーニバルで軍部が出来ることなど治安維持くらいだし、ここ数年は特に事件が起きたことも無く、巡回している軍人も出店に立ち寄るほど平和である。ロイがちらりとそちらを見ると、気付いた憲兵は慌てて敬礼し、巡回に戻った。ちなみにロイ自身は軍服、それも礼服に身を包んでいながら、特に巡回をしているというわけではなく、ただふらふらと出店を見て、馴染みの店員に声をかけながら歩いているだけである。仕事は開会式に来賓として座っているだけだったので、今日はもう帰って寝ていても問題ないような気がするが、さすがに帰ったとわかると後で部下に怒られそうなので、こうして祭りが終わるまで時間をつぶしているのである。ヒューズでもいれば多少は楽しかったかもしれないが、中央から呼びつけたところで来られるわけがない。 千里の道も一歩から。適当に女性でも誘って支持率を上げておくか。うむ、真面目な私偉い! こういう時のロイの視線感知は高機能センサー並みである。自分を熱いまなざしで見つめている女性がどの方向にいるかなど手に取るようにわかる。おまけに体型まで直感的にわかってしまうとなればもう人間業ではない。 ロイは自分を遠巻きに眺めている女性から最もスタイルのいい女性を一度も目を向けることなく選んで、最高に甘いマスクを向けた。 「何か御用です、か…っ?」 が、その女性と目が合った瞬間、ロイの計画はご破算となった。 「御用です…よね…いや、私は単に問題は起こっていないか、実際に自分の目で確かめようとこうして誰にも頼まれていないのに自主的に歩いているという軍人の鑑であって、このままとんずらしようなどとは思っていないのだよ中尉?」 とんだ誤算である。自分に熱い視線を向けているのが街のマスタングファンだけではないことを忘れていた。以前にもファンだと思って振り返り、手を振ろうとしたら頬を銃弾が掠めていった事がある。ちなみにそちらはリザではなく当時追っていたテロリスト一味で本物のスナイパーだった。以後は精度を高めてロイを憧れのまなざしでみつめる女性だけが引っかかるように努力し、最近は百発百中だったはずだが、何故リザがひっかかったのだろう。 「…そんな事を考えていたのですか貴方は」 「だから違うって」 いつものように返しながら疑問に思う。珍しく中尉の切替しが甘い。もっと辛辣な言葉が返ってくるかと予想していた。それはおそらくロイでなければ気付かないほどの微妙な変化だったが、声をかけた時もロイよりリザのほうが驚いていたようだった。何かあったのだろうか。 「中尉…?」 「はい」 素っ気無い返事とは裏腹に、落ち着き無く泳ぐ目線がやはりおかしい。だがもし仕事上で問題があるのならば、彼女はすぐにロイに報告するであろう。話しかけずに遠くからこちらをただじっと見ているわけがない。 「どうして声をかけなかったんだ?」 「どうしてと言われましても…大佐がいらっしゃるとは思わなかったので」 嘘だ。 「私を見てたじゃないか」 ロイは目を細めて腕を組んだままリザの顔を覗き込んだ。と、同時にリザの目が何気なく逸らされた。彼女がロイにするほどではないが、ロイもまた目を見れば多少ならリザの心くらい読める。 「気のせいでは? 人も大勢いますから」 立ち止まっている二人を邪魔そうに見ながらカーニバルを楽しむ人々がゆっくりと流れていく。川の中州になった気分である。 リザはまた嘘をついた。だが、この事についてはこれ以上追求するつもりは無い。他の人間ならば罠を張ってでも自白させるが、リザのことは信頼しているのである。それに彼女は傍目にはわかりにくいが前々からこのカーニバルを楽しみにしていたので、多少の嘘を問い詰めることで水を差したくはない。 「では別に私に用があるわけではなかったのだな」 「ええ…」 「そうか。君ももう大した仕事が残っているわけじゃないんだから楽しんできたまえ」 軽く片手を上げて、元のように流れに沿って歩く。次は失敗しないようにしなければ。念のため先ほどから感じる視線の数と実際見ている人物を確認するがやはりセンサーに引っかかるのは嫉妬する男ではなく、憧れのまなざしを向ける女性である。 「ふむ、やはり異常はないな」 ひとつを除いては。 「…中尉、何故ついてくる…」 「いえ、その…」 もしかして仕事上のことではなく言いたいことでもあるのだろうか。この子はこういう所が非常に不器用なのだ。リザはきょろきょろと周りを見回してから真剣な面持ちで口を開いた。 「戻りませんか?」 「戻るって本部にか。嫌だ」 面白くも無い将軍連中の無駄話に付き合うのは御免である。 「戻りましょう」 リザがロイの礼服の袖あたりをぎゅっと握った。 「嫌だ! 戻るくらいなら帰って後で反省文を書いた方がマシだ!」 「何で貴方はそう聞き分けがないんですか」 「そっちこそ! 戻らなくてはならない理由を言いたまえ理由を」 「それは…」 大勢人のいるところでは守るのが大変ですし、などともごもご言っている。それが彼女がロイを連れ戻したい本当の理由ではないのは明白だ。 もしかして 「それは君のためなのか?」 以前も散々問い詰めて彼女の曖昧な態度の裏に男の陰があったことに気付いたが、あの時もリザは何も言わなかった。 ただ、少なくともリザのそばにロイがいればその場に近づく男はいない。 たっぷりと沈黙を保った後、リザははいと返事した。 「……じゃあ戻るか」 一人で本部にいるのが嫌ということは、つまり対象は本部にいるということだ。リザのためなら大人しくご老体の政治の話でも我慢して聞くふりをしよう。さて、今度の対象はどんな男なのか。肉体的な傷を最小限にして、最大限に精神的な傷を負わせる実験にでも使ってやろうか。ふうとため息をついて回れ右をする。と言っても人ごみの中で逆流するのは一仕事だ。袖を掴んでいなくても、はぐれもせずぴったりと後ろにいるリザに感心しながら人ごみを掻き分ける。そう言えば、袖とはいえ彼女がこういった場でロイに接触するのは何年ぶりだろうかと考える。ロイの性癖を気遣ってか、こういった人目のある場所で、リザは不自然なほどロイと距離をとることを常としている。浮かれているのか。振り返ると、リザは相変わらず周囲を気にしながら歩いていた。本部に戻れと言うが、理由が男を避けたいだけならば、別に急いで戻らなくても構わないだろう。そうすればロイもカーニバルの中心で退屈を叫ぶという拷問を受けずに済む。彼女のストーカーなど見つける方法はいくらでもあるし、見せ付けるのは後でもいい。 今するべき事はひとつ。 「中尉、遊ぼうか」 普段リザには向けない、女性用の笑みを浮かべて手をとる。 「大佐…?」 リザが慌てて手を引こうとするので逃げないように強く握った。 「ご…ご冗談を。こんなところで何をするのですか。誤解されてしまいます」 聞き様によってはリザがものすごく凄まじいことを期待したように聞こえるが、単にロイと関係のある女性に見咎められることを懸念しただけだ。やはりリザにしては軽率な言い回しが妙だ。 「楽しく遊んでるだけじゃないか。軍人が遊んじゃいけないという法律は無い」 「そうではなく…」 リザが付き合ってくれるのならば相手として申し分ない。露出度の多い派手な女性が好きなので、個人的には礼服というのが少々地味で残念だが、ストイックな軍服に隠された色香に釣られて寄ってくる虫が絶えないのも事実だ。 困ったような顔をしていたリザが急に、ばっと左側を睨んでロイの手を握り返した。 ひょっとすると、リザは… いや、気のせいか。 「どうかしたのか」 リザがむっとした表情でロイを見つめなおす。 「おかしなことを言ってないで行きますよ!」 「ええ? やっぱり戻るのか?」 気が進まないのだが、と言うとリザはロイが被っていた軍帽を奪って手を握ったまま、ロイを追い越して歩き出した。人質…ものじち…のつもりか。実は軍帽を奪われたところで痛くも痒くもないのだが。 人ごみを物ともせず普通の速度で、むしろ早足で歩くリザは流石だが、手をつないだままであることが仇となって後ろで人に揉まれている上官にはさっぱり気付いていないようだ。 「ちゅっ…ちゅうい!」 「何ですか」 眉間にしわを寄せたまま振り返ったリザは、何故か慌てて軍帽を返した。 「両手が塞がってるんだが…」 「そんなもの持っているからですっ」 リザがロイのステッキを忌々しそうに見ながら言う。かっこいいと思うのだが、黒いコートを袖を通さずに羽織るのもマントっぽくてかっこいいからだと説明したら、この世の終わりが訪れそうなほど無言で呆れられたので、今回は言わなかった。傷つくじゃないか。 「まぁそれは君が持っていたまえ」 帽子を受け取るとステッキを濁流に持っていかれそうだ。 「だっ駄目です、かぶってください」 自分で奪っておいて随分なものの言いようである。 「中尉…熱でもあるのか…」 ありません、と言い切る前にリザは弾かれた様に右側へ視線を移した。その先にいたのは気持ちの悪い男、ではなく美しい女性であった。 …まさかリザにそういう趣味が…、いや、静かに睨みつけるような視線はそんな感情とは正反対だ。先ほどは気のせいかと思ったが、そうではなかったようだ。今日の彼女が視線を辿っているのはロイに悪意を向けている人間だけではない。 しかし今日に限って女性の目を気にするとは。 「君の愛がまさか他の女性に嫉妬するようなものになる日が来るとは…嬉しいよ。今までは同僚の上腕二頭筋やら前腕屈筋群やらを見ては嫉妬しているようだったから私としてはね、不安だったんだ。いや、本当に嬉しい」 「…はぁ?」 広場では何か出し物があるらしく人々はそちらに集っていた。道には取り残されたようにロイとリザだけが残る。 「何を馬鹿なことを言っているのですか貴方は」 「じゃあいったい何なんだね。さっきから私を見つめる女性に威嚇して」 「…気付いていたのですか?」 「そりゃあここまで来れば」 さっさと言いたまえと詰め寄ると、ぐいっと軍帽ごと押し返された。上官の軍帽はぺしゃんこである。 「そんなことはいいですからこれ被ってください」 「…ぐしゃっとなってるけど」 「ああっすみません…」 「やっぱり変だぞ。変だ。というか恋だ。恋する乙女のようだ。さては私に惚れたな中尉!」 「恐ろしいことを仰らないでください」 汚物を見るような目つきできっぱりと否定された。 しかしその目はすぐに慌てて逸らされる。もう慣れたが。 「君が本当のことを言ってくれないと帽子は被らないぞ」 「くっ、卑怯な…!」 「ふふふ…おっと手が滑って人ごみに帽子を落としてしまった」 「なんて怪しい説明口調…」 落ちそうな帽子をリザがうまくキャッチする。 ハボックがいれば、ウザいので人前でいちゃいちゃしないでくださいと言われそうなやり取りを繰り広げた末、リザは重い口を開いた。 「別に、言わなければならないほどの事ではないでしょう? ただ貴方を他の女性に見られたくなかっただけです」 「…」 「な…んですか」 「……」 「なんですかっ」 怒鳴られてやっと目を点にしていたロイに生気が戻った。 「…もしかして…その…まさかとは思うが…私の頭頂部が薄くなっ…」 「違います! 礼服の大佐がいつもとは少し違って見えたので私は…」 「ああよかったそうかそうかびっくりしてしまったよちょうどここのところテストステロンが分泌されすぎかなと」 「大佐、私の言ってること聞いていらっしゃいますか?」 「うんうん聞いてる聞いてる。かっこよかったんだろう? 私が」 リザは素直にうなずいて、はいと返事した。 「じゃあ行こうか」 冷や汗に湿った首を掻きながら、ロイはリザの手を放して歩き出した。 「大佐…」 「なに」 「照れていらっしゃいます?」 センサーは壊れていなかった。あの時ロイに見蕩れていた女性の中には確実にリザがいたのだ。 「まあ、正直、君にそんな事を言われるとは思わなかったからな」 「ご謙遜を」 だって、それは恋愛症状の初期段階じゃないか。本人にまだ自覚は無いようだが、我慢するのは自分だけでいい。気付いて辛い思いをするのは、ロイよりもリザだ。 本部に向かう足を止めて、リザを見る。男がいるというのはロイの壮大な勘違いだったらしい。 「やっぱりもう少し歩かないか。人目が気にならない程度には楽しませられると思うんだ、多分」 リザが穏やかに微笑む。 突き放したいのか近づきたいのか、お互いによくわからなくなっていた。 |